世界各国で高い評価を集めるタイの女性監督、アノーチャ・スウィチャーゴーンポンの特集上映です。昨年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭での特集上映企画に新作を追加・再編した4作品のプログラムをお届けします。
※11/22の上映後、フォーラム④「東南アジア映画の現在地」にご参加いただけます。
※11/27の上映後、フォーラム⑤「監督どうしの感想批評」にご参加いただけます。
会場:KBCシネマ(福岡市中央区那の津1-3-21)
上映期間:2021年11月22日(月)〜28日(日) 7日間/1日1枠(19:00〜)
料金:1,500円(各プログラム)
アノーチャ監督とその作品、そして、映画の背景にあるアジアの社会状況や映画産業などについて理解を深めるフォーラムを実施します。また、会場にお越しいただけない方のためにオンライン配信も行います。(後日アーカイブ動画も公開予定)
※フォーラムの登壇者は一部を除きオンラインでのご出演を予定しています。
[会場]
①〜③:本のあるところajiro
(福岡市中央区天神3-6-8)
④〜⑥:KBCシネマ
(福岡市中央区那の津1-3-21)
夏目深雪(映画批評家/編集者)
佐々木敦(思考家)
吉岡憲彦(前・バンコク日本文化センター所長)
福冨渉(翻訳家・タイ研究)
ドンサロン・コーウィットワニッチャー(映画評論家/プロデューサー)
井戸沼紀美(「肌蹴る光線」主催)
山下宏洋(イメージフォーラム・フェスティバル ディレクター)
今井太郎(harakiri films/Foggy)
①〜③ 各回とも18:30開場/19:00開始
会場:本のあるところajiro(福岡市中央区天神3-6-8)
要ワンドリンクオーダー(各20名限定)
坂川直也 (京都大学東南アジア地域研究研究所)
アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(監督/プロデューサー)
ポム・ブンスームウィチャー(監督/プロデューサー/Purin Picturesリサーチャー)
樋口泰人(boid主宰/爆音映画祭プロデューサー)
宮崎大祐(映画監督)
深田晃司(映画監督/ミニシアター・エイド基金発起人)
アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(監督/プロデューサー)
④〜⑥ 各回とも上映終了後20:30頃〜
上映鑑賞後、そのままご参加いただけます。
会場:KBCシネマ(福岡市中央区那の津1-3-21)
2021年/タイ/ 69分
監督:アノーチャ・スウィチャーゴーンポン
字幕:高杉美和
四人の男女が、タイ西部の観光地カンチャナブリへやってくる。第二次大戦下には旧日本陸軍による鉄道開発の強制労働によって何万人もの命が落とされたこの地で、四人は「死の鉄道」記念碑を訪れる。夜には船上ホテルで酒を交わしながら、かつての恋や将来のことなどについてとりとめもなく語り合う。映画はこの物語と並行して、森の中でさまよう一人の女性の姿を追う。“歴史”と切り離された若者たちが旅先で過ごすたゆたうような時間を通じて、個人の記憶と土地/国の歴史が微かに響き合う様を描く。ベルリン国際映画祭フォーラム部門出品。
▶︎カンチャナブリ
水上に浮かぶ宿泊施設や滝など、現在では観光地として知られるタイ西部のカンチャナブリ。第二次大戦当時には、日本軍によるタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道の建設工事として大規模な強制労働が行われた。10万人におよぶ東南アジアの民間人強制労働者と連合国軍捕虜の死者を出したことから「死の鉄道」とも呼ばれる。映画冒頭に主人公らが訪れるのはヘルファイアパス記念博物館と、岩山の切り通し線路の跡地。なおこの鉄道建設の強制労働については1957年の映画『戦場にかける橋』などでも見ることができる。
▶︎ドゥシット動物園
ドゥシット動物園は、先代国王の私庭をバンコク都が譲り受け1938年にオープンした国内最大規模の動物園。1,000種を超える動物が飼育され、長く市民に愛されたが2018年に閉園。劇中で若者たちが「動物化」する様子も相まって、人間と動物、人工と自然といった境界が溶け出し合うような印象を与える。
2021年/タイ/ 17分
監督:ポム・ブンスームウィチャー
脚本・製作:アノーチャ・スウィチャーゴーンポン
字幕:高杉美和
タイには「処女の女性がレモングラスの束を逆さに植えると雨が降らない」という迷信が実在する。その日も、雲行きが怪しくなり始めた映画の撮影現場で、若きプロダクションマネージャーが呼び出され、レモングラスの晴れ乞いをするよう指示される。彼女は同僚の女性たちに頼んで回るが皆に断られ、結局自らレモングラス・ガールを引き受ける羽目になる。社会における女性の役割や、人と自然の関わりを暗示する本作は、脚本をアノーチャが手がけ、撮影も『カム・ヒア』の実際の撮影現場で行われた。ロッテルダム国際映画祭出品。
▶︎レモングラスの迷信
処女の女性がレモングラスの束を逆さに植えると雨が降らない、という迷信は、科学的な根拠が無いにもかかわらず、現在のタイでも信じている人はいるらしい。この迷信は、女性に雨を止められるかどうかというプレッシャーを与えるばかりか、雨が降った時には自身の「不浄」を晒して非難を集めることにもつながるもので、社会の中における女性への何重もの力関係を示している。
監督:アノーチャ・スウィチャーゴーンポン
協力:福岡市総合図書館
字幕協力:大阪アジアン映画祭、大西公子
1976年タイのタンマサート大学で、左派学生と市民活動家らの集会に警察が乗り込み百人以上もの死者を出した“血の水曜日”虐殺事件が起こる。映画はこの集会に参加していた元活動家の女性作家に、ある映画監督がインタビューする場面から始まる。並行して描かれる有名俳優やウェイトレスの物語を行き来しながら、作品は徐々に一人ひとりの人生の断片を重ね合わせ、タイの現在を浮かび上がらせていく。過去と現在、虚構と現実、記憶と空間を交錯させて、既存の映画文法をスリリングに逸脱していく演出は圧巻で、ロカルノ、ロッテルダムをはじめ世界数十カ国の映画祭で上映され高い評価を集めた。
▶︎タンマサート大学虐殺事件(“血の水曜日”事件)
1976年10月6日、タイ・バンコク市内のタンマサート大学で行われていた左派学生と市民運動家のデモ集会に、極右団体と手を結んだ警察隊が乗り込み、数十名の死者と150名以上の負傷者を出した。この集会を制圧した翌日、タイには戒厳令と軍事クーデターが宣言された。凄惨をきわめたこの虐殺事件はタイの教科書に残されることなく、歴史の闇に葬られた。アノーチャ監督は自身がこの1976年生まれであることについて度々言及している。
▶︎タイ語の時制と映画
タイ語は過去・現在・未来いずれの場合にも動詞が変化しない「時制のない言語」といわれる。アノーチャ監督は英語の「have been(現在完了形)」「had been(過去完了形)」という時制表現に出会った時、自分に新しい時制が加わったことを興味深く感じたという。過去の出来事がある時点まで続いて、終わったこと。あるいはそれが現在にも続いていること。
『暗くなるまでには』では、様々な物語が始まりも終わりもなく次々と生まれては断片化され、消えていく。時間も空間も異なるはずの出来事や登場人物たち同士が、現実と夢を介して見えない糸で紡がれていく本作は、時制=“歴史”のない世界で、ある時期・ある場所に存在したかもしれない“記憶”に思いを馳せることへのいざないのようでもある。
▶︎原題「Dao Khanong」
Dao Khanong(ダオカノン)はバンコク郊外にある地区の名前。バンコクの高速道路を走れば必ずと言って良いほどこの名前を看板で目にするが、観光地でもないため住民以外はあまり足を運ばないエリアとのこと。監督はそこに“始まりも終わりも関係ない旅のような感覚”を連想したとのこと。また、Dao(=星)Khanong(=野生の)が並んで「野生の星」とも訳せる言葉の意味自体も好きなのだとか。
2009年/タイ/ 82分
監督:アノーチャ・スウィチャーゴーンポン
字幕協力:松岡葉子
事故によって下半身付随となった青年エークの介護のために、看護師のパンが雇われる。権威主義的な家長である父親と微妙な関係性で常に不機嫌なエークだったが、献身的に介護を続けるパンに対して徐々に心を開いてゆく。ある日ふたりはプラネタリウムを訪れ、エークは超新星の爆発について語り始める。象徴的な「家」を舞台とした“ありふれた日常”の物語を現代タイ社会の寓話としながら、やがて映画は宇宙と生命の神秘的イメージへと接続していく。ロッテルダム国際映画祭でタイガー・アワード(最高賞)を受賞した、アノーチャ監督の長編デビュー作。
※作品に一部過激な映像が含まれます。予めご了承の上ご視聴ください。
▶︎原題「Jao Nok Krajok」と英題「Mudane History」
タイ語のnok krajokは「雀」そして「ありふれた、取るに足らないもの」という2つの意味がある。雀はタイの至るところにいるため、どこにでもありふれた存在になったものには誰も気を留めなくなる、という言葉の由来に監督は感じるものがあったという。英題では、ごく平凡で特徴のない感じのMundane(ありふれた)と、どこか重厚な感じを伝えるHistory(歴史、物語)を並べることで、「歴史のなかの普通の物語」を意識したとのこと。
▶︎タイの政治と信仰
制作当時の国内政情の大きな変化が、タイのあらゆる階層の国民の日常生活に影響を与えたため、本作は当初想定していたものとは異なる政治性を帯びる作品になったと監督は述べている。またタイでは、たとえ科学が証明できずとも、魂の移ろいや幽霊の話をすることはごく自然なことであり、本作で描かれる人間、社会、国、星のライフサイクル(誕生と衰退、死と再生)に通じている。
▶︎黄色のTシャツ
東南アジアで唯一植民地化を免れたタイでは、古くからの王政が現在も続いている。長らく民主化の象徴だった王政は、軍と警察と協力関係を築き、強権政治を動かす反民主化の象徴という側面もあった。2001年タイでは、総選挙で勝利したタクシン首相による代議政治の恩恵を享受したことから真の民主化を求める声が高まり、軍政右派との対立が国内を二分した。王室を擁護する右派は国王の権威を借りてその象徴色である黄色のTシャツを、民主化を求めるタクシン派は赤のTシャツをそれぞれにまとい、デモを繰り返した。
▶︎家について
監督はこの作品の登場人物は父親とエーク、パン、そしてこの家そのものだと語っている。2階建で立派な母屋と、数人の使用人が暮らす小屋からなるこの家は、平穏な外見のうちにその秘密を隠しており、タイ社会そのものを暗示するようでもある。
▶︎対になる『ありふれた話』と『暗くなるまでには』
監督は『ありふれた話』と次作『暗くなるまでには』の2作を、対になる作品だと述べている。いずれもタイ社会についての映画でありながら『ありふれた話』は男らしさを、『暗くなるまでには』は女らしさを描き、実際にその2つが対極にあるのかを探究したいとも語っていた。また、きわめて限られた場面で展開される『ありふれた話』と、タイの様々な場所で繰り広げられる『暗くなるまでには』という構造も対になっている。
夏目深雪(映画批評家/編集者)
佐々木敦(思考家)
吉岡憲彦(前・バンコク日本文化センター所長)
11月11日(木) 19:00〜 要ワンドリンクオーダー(20名限定)
本のあるところajiro(福岡市中央区天神3-6-8)
各国の映画祭で高く評価される映画作家であり、東南アジアのインディー映画の制作支援を行う映画基金Purin Picturesで共同ディレクターを務めるアノーチャ・スウィチャーゴーンポン。アジアを代表する才能でありつつも、ときに実験的で難解とも評される彼女の映画作品の魅力を、お三方の識者の解説で紐解く「アノーチャ入門」をお届けします。
夏目深雪
映画批評家、編集者。「ユリイカ」「キネマ旬報」などに寄稿。東京国際映画祭の予備審査員を2008年から20年まで務める(15年からアジア担当)。これまで企画編集した共編著書に「アジア映画の森」「アジア映画で〈世界〉を見る」「国境を超える現代ヨーロッパ映画250」「アピチャッポン・ウィーラセタクン 光と記憶のアーティスト」「躍動する東南アジア映画」など多数。編著「岩井俊二」「新たなるインド映画の世界」。
佐々木敦
思考家、作家、HEADZ主宰。文学、音楽、演劇、映画ほか様々なジャンルの批評活動を行う。書肆侃侃房発行の文学ムック「ことばと」編集長。映画批評の著作に「この映画を視ているのは誰か?」「ゴダール原論」「ゴダール・レッスン」「映画的最前線」がある。その他、「それを小説と呼ぶ」「これは小説ではない」「私は小説である」「新しい小説のために」「批評王」「小さな演劇の大きさについて」「アートートロジー」「4分33秒論」など著書多数。初の小説『半睡』が2021年10月に刊行された。
吉岡憲彦
国際交流基金アジアセンター文化事業第1チーム長。タイに通算10年、ベトナムに4年駐在。主に舞台公演、映画祭、展覧会など様々な文化芸術交流事業を担当。2016年4月~2021年7月まで同基金バンコク日本文化センター所長。翻訳にプラープダー・ユン「地球で最後のふたり」、「座右の日本」、共著に「東南アジア文化事典」など。
福冨渉(翻訳家/タイ文学研究)
ドンサロン・コーウィットワニッチャー(映画評論家/プロデューサー)
11月15日(月) 19:00〜 要ワンドリンクオーダー(20名限定)
本のあるところajiro(福岡市中央区天神3-6-8)
2021年現在(=タイの仏暦で2564年)のタイでは、独裁的な軍事政権に対する民主化デモが長期化し、大きな社会の転換期を迎えています。デモ活動に文化的な手法や表現を活用することで、若者を中心にこれまでにないムーブメントが生まれるなか、現地のインディー映画シーンではどのような活動が生まれているのか? その現状に迫ります。
福冨渉
タイ文学研究者、翻訳・通訳者。株式会社ゲンロン所属。著書に「タイ現代文学覚書」、訳書にプラープダー・ユン「新しい目の旅立ち」ウティット・ヘーマムーン「プラータナー:憑依のポートレート」などがある。
ドンサロン・コーウィットワニッチャー
映画評論家・プロデューサー、ジャーナリスト。ナワポン・タムロンラタナリット『あの店長』『ダイ・トゥモロー』ほか世界で高く評価される数々のアジア映画作品でプロデューサーを務める。アピチャッポン・ウィーラセタクンらが設立した映画制作販売会社「Mosquito Films Distribution」のジェネラル・マネージャーも務め、東南アジアのインディペント映画シーンの欠かせない存在の一人。
井戸沼紀美(「肌蹴る光線」主催)
山下宏洋(イメージフォーラム・フェスティバル ディレクター)
今井太郎(harakiri films/Foggy)
11月18日(木) 19:00〜 要ワンドリンクオーダー(20名限定)
本のあるところajiro(福岡市中央区天神3-6-8)
興行収入優先で無数の新作が発表され続ける現在の映画ビジネスにおいて、これからも国内外の小規模なインディー映画やアートフィルムを観客に届ける術はあるか? その勝ち目は“推し活”的なマインドとメソッドにある、と仮定して登壇者たちの実例を交えて紹介。あなたにも真似できる(かもしれない)新たな映画の流通モデルを考えます。
井戸沼紀美
上映機会の少ない傑作映画を発掘し、広めることを目的とした上映会「肌蹴る光線」を主催。2018年その第1回企画として、日本配給前であった中国の新鋭ビー・ガンの『凱里ブルース』を上映した。大学在学中にはニューヨークまで映画監督/詩人のジョナス・メカスに会いに行ったのち、同監督作の上映会も行っている。
山下宏洋
シアター・イメージフォーラム番組編成担当。1996年より実験映画・個人映画のための非営利組織、イメージフォーラムで勤務を開始。2001年から現在に至るまで同組織運営の映像祭、イメージフォーラム・フェスティバルのディレクター。これまで世界各地の映画祭・映像祭で審査員を務め、国際的な映像プログラミングも多数行う。
今井太郎
ハラキリフィルムズ合同会社代表。大阪を拠点にインディペンデント映画のプロデューサーとして国内外の若手監督らとオリジナル作品の企画開発を行うかたわら、タレンツ・トーキョー、ロッテルダム・ラボ、SEAFICなど映画交流プログラムにも数多く参加。2021年には「日韓コラボ映画特集」としてチャン・リュル監督の映画『福岡』をはじめ5本の韓国映画の上映企画を実施。現在、インディペンデント映画の配給・販売・製作を行う映画スタジオ Foggy 立ち上げの準備中。
坂川直也(京都大学東南アジア地域研究研究所)
アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(監督/プロデューサー)
ポム・ブンスームウィチャー(監督/プロデューサー/Purin Picturesリサーチャー)
11月22日(月) 20:30頃〜
KBCシネマ(福岡市中央区那の津1-3-21)
劇場での上映直後にお届けする本フォーラムでは、前半に両監督をお迎えした作品の解説をお届けします。後半には、両ゲストも参加する映画基金Purin Picturesが毎年発表している、東南アジアのインディー映画にまつわる統計資料「SEASTUDY」を参考にして、アジアにおけるインディー映画の展望についてお話を伺います。
坂川直也
京都大学東南アジア地域研究研究所 連携研究員。東南アジア地域研究者。ベトナムを中心に東南アジアの映画史を研究している。TOKIONにて「ソーシャル時代のアジア映画漫遊」連載。大阪大学非常勤講師。共著に「東南アジアのポピュラーカルチャー」「東南アジアと『LGBT』の政治 性的少数者をめぐって何が争われているか」ほか。
ポム・ブンスームウィチャー
タイ・バンコクを拠点に活動するインディペンデント映画監督/プロデューサー。ブラウン大学で近代文化・メディアの学士号取得。ドキュメンタリーの要素とフィクションを組み合わせた監督の作品は、これまでロッテルダム国際映画祭、ロカルノ国際映画祭、MoMA’s Doc Fortnight、ハンブルグ国際短編映画祭、SeaShortsなど、東南アジアほか各国の映画祭で上映。『レモングラス・ガール』は最新作。
樋口泰人(boid主宰/爆音映画祭プロデューサー)
宮崎大祐(映画監督)
11月23日(火・祝) 20:30頃〜
KBCシネマ(福岡市中央区那の津1-3-21)
アノーチャ監督の国際的評価を決定づけた『暗くなるまでには』。既存の映画原理を刻々と引き剥がし、観客を未知なる境地へと導く圧倒的な本作を二人の識者が徹底解説。過去に同作を爆音映画祭で上映した樋口氏と、本作を愛してやまない宮崎監督の視点を借りて、この映画が「どうしてこんなにすごいのか」について迫ります。
樋口泰人
boid主宰/爆音映画祭プロデューサー。「キネマ旬報」「スタジオボイス」などで批評やレビューを執筆。90年代には「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集長を経て、自身のレーベル「boid」を設立。04年より音楽用のライヴ音響システムを使用した「爆音上映」シリーズを開始、以降「爆音映画祭」として全国に展開。「映画は爆音でささやく」などの著書をはじめ、配給作品には『地獄の黙示録劇場公開版』『PARKS パークス』『大和(カリフォルニア)』『遊星からの物体X〈デジタル・リマスター版〉』など。
宮崎大祐
映画監督。2011年、初の長編作品『夜が終わる場所』発表。2013年には英国で「今注目すべき七人の日本人インディペンデント映画監督」に選出。同年参加したアジア四ヶ国のオムニバス映画『5TO9』は、中華圏のアカデミー賞こと台北金馬国際影展などに出品。長編第二作『大和(カリフォルニア)』は数多くの国際映画祭で上映され、The New York Timesほか海外有力メディアでも絶賛。2019年には長編3作目『TOURISM』発表。最新作『VIDEOPHOBIA』は映画芸術の年間ベスト6位に選出。
深田晃司(映画監督/ミニシアター・エイド基金発起人)
アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(監督/プロデューサー)
11月27日(土) 20:30頃〜
KBCシネマ(福岡市中央区那の津1-3-21)
ともにアジアを代表する映画作家として活躍するかたわら、自身をとりまく映画状況にむけて様々な活動を行う両氏は、実は10年来の友人でもあります。上映終了直後の本フォーラムでは、深田監督からアノーチャ監督新作『カム・ヒア』への感想を皮切りとして、互いの活動の近況報告など、リラックスした公開トークをお届けします。
深田晃司
映画監督、ミニシアター・エイド基金発起人。大学在学時より映画美学校にて映画制作を学ぶ。2005年、平田オリザ主宰・劇団⻘年団に演出部として入団し、 劇場での映画祭を開催するほか、俳優たちと『歓待』など映画作品も発表。2016年『淵に立つ』は第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞。2020年には映画『本気のしるし』がカンヌ国際映画祭オフィシャルセレクションに選出。「独立映画鍋」や「ミニシアター・エイド基金」、映画界のハラスメント問題へのステートメントなど、映画業界の未来へ向けた活動も続けている。
(監督/プロデューサー/Purin Pictures共同ディレクター)
タイ出身の映画監督。英国で学んだのち、米コロンビア大学の芸術学部へ。卒業制作の短編映画『Graceland』が2006年のカンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門で上映され、短編作品としてタイ映画史上初のカンヌ入りを果たした。初の長編作品『ありふれた話 Mundane History』(2009)は、ロッテルダム国際映画祭のタイガー・アワードをはじめ、世界各国で数々の映画賞を受賞。長編2作目『暗くなるまでには By the Time It Gets Dark』(2016)は、ロカルノ国際映画祭でのプレミア上映後、トロント、BFIロンドン、ウィーン、ロッテルダムなど50以上の国際映画祭で上映。本作はタイ映画界で最も権威ある映画賞のスパンナホン賞で最優秀作品賞、監督協会賞も受賞している。
また、プロデューサーとしてバンコクを拠点とするElectric Eel Filmsを設立し、多くの短編映画や長編映画を製作。2017年には、ウィッサラー・ウィチットワータカーン(Visra Vichit-Vadakan)、アーティット・アッサラット(Aditya Assarat)とともに、東南アジア映画の製作、配給、上映、ワークショップ、イベントなどの関連活動を支援する映画基金Purin Picturesを設立し、活動を続けている。
2021 |
『カム・ヒア』 COME HERE ベルリン国際映画祭 フォーラム部門出品 |
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2019 |
『クラビ、2562』 KRABI, 2562 ※ベン・リヴァースとの共同監督 ロカルノ国際映画祭 Moving Ahead部門出品 |
2016 |
NIGHTFALL(短編) ※ドゥラポップ・セーンジャルーンとの共同監督 オーバーハウゼン国際映画祭 出品 |
2016 |
『暗くなるまでには』 BY THE TIME IT GETS DARK ロカルノ国際映画祭 国際コンペティション 出品 スパンナホン賞 最優秀作品賞、最優秀監督賞 |
2012 |
OVERSEAS(短編) ロカルノ国際映画祭 出品 |
2009 |
『ありふれた話』 MUNDANE HISTORY ロッテルダム国際映画祭 タイガーアワード(最高賞) |
2007 |
JAI(短編) オーバーハウゼン国際映画祭 スペシャルメンション |
2006 |
GRACELAND(短編) カンヌ国際映画祭 シネフォンダシオン部門 出品 |
2021年3月31日、アジアフォーカス・福岡国際映画祭の終了が宣言された。
映画祭は1991年、“アジアとの国際交流”を打ち出す福岡市の基幹事業のひとつとして開幕し、以来30年間、延べ39カ国・地域の映画作品3,152本を上映してきた。映画祭はこの街に様々なものをもたらしてきたが、終了を迎えたいま福岡に遺されたのは2つの映画資産である。ひとつは、アジアのインディー映画界を中心とした各国映画人とのネットワーク。そしてもうひとつは、映画祭のたびに福岡市総合図書館に収蔵されていった、数百本ものアジア名作映画のフィルム・アーカイブである。今後映画祭の人脈や開催のノウハウについては民間事業者に継承・支援しながら活用を模索していくという。
かくいうぼくも、この映画祭に多くを与えられてきた人間のひとりである。2015年から同映画祭の商談会部門「ネオシネマップ福岡」のディレクターとして、国内外の映画人の出会いの場づくりを行ってきたことが今回の企画に繋がっているし、そもそも自分の街で8歳の頃から開催され続けたこの映画祭が、自身の映画観に影響を及ぼしていないはずは無かった。
これまで数年間、映画の商談会を担当してみて驚いたことが2つある。
まずは映画が観客に届けられるまでの「時間」の長さだ。例えばある映画の配給契約が結ばれてから、日本で劇場公開されるまで1年以上かかることはざらにあるし、新しい映画の製作企画ともなれば、3〜4年かかることだって珍しくはない。映画は時間がかかるビジネスなのだ。
もう一つは、映画業界が圧倒的に「人間」で動いている事実だ。映画と聞くと、つい途方もなく大きなビジネスを想像しがちだが、少なくともぼくが見たアジアのインディー映画業界はその限りではなかった。国境をまたいで製作される新作映画の企画も、いま日本の劇場や配信で見られる作品の配給も、たったひとりの誰かが、別の映画人と出会ったり引き合わされたりすることから始まっていた。映画はまるで、人間を媒介に生成されて運ばれる、ひとつの循環系のようだった。
だからこそ、この街が30年という時間をかけて育んだ映画人とのネットワークを、映画祭なき後にどのように繋いでいくかを考えることが重要だった。理由はどうあれ、せっかく活動しはじめていた循環器に突然血が巡らなくなるわけだから、それが壊死するよりも速いスピードで、新たな血を送り込む企画を準備する必要があった。そして民間業者として新たな取組みを始める以上は、その身軽さも生かして、これまでの映画祭では実現しづらかった新しいアジア映画の流通や広がりにつながる動きにしたいと考えた。
第1回目のAsian Film Jointでは、映画の特集上映とフォーラムを開催する。
上映で取り扱うのはアジアのインディー映画である。これは、映画祭の人脈とフィルムアーカイブがその分野に厚いから、というだけではない。近年、日本の映画興行ビジネスにおいて、アジアのインディー映画やアート・フィルムは、劇場配給はおろか配信やDVDですら鑑賞できる機会が限られている。その理由は作品の出来とは関係なく、まず認知度の低い作品は興行的に成立しづらいことにあった。だとすれば、どんなに小さい規模でもまずこれらの作品に存在感を与えるための具体的な活動を始めることには、一定の必要があるように思えた。
今回、福岡のミニシアターであるKBCシネマご協力のもと、1週間の特集上映を劇場でお届けする。Asian Film Jointとしてはこの上映を起点とし、今後このプログラムを他県のミニシアターへ巡回し、段階的にオンライン配信の可能性を探ることを目指している。巡回型自主上映、マイクロ配給……、呼び方はともかく、これまでの映画祭では福岡だけで完結していた視聴機会を面的に広げ、より多くの方に映画を届けられる持続可能なモデルを見つけていきたい。
一方のフォーラムでは、これまでの映画祭を通じて繋がってきたアジアの映画人たちと、各分野で活躍する識者を交えた計6回のオンライン講座を実施する。こちらも単なる映画上映の添え物とせず、映画人とともにアジアの社会状況や映画産業の未来を探る場にできればと思う(なおこのフォーラム内容は、今後巡回上映時に販売する映画パンフレットに再編すべく準備を進めたいと思う)。
実はアノーチャ監督の特集上映が福岡で開催されるのは、これが初めてではない。どころかわずか1年前にアジアフォーカス・福岡国際映画祭で行われたばかりなのだが、それでも今回改めてAsian Film Jointとしてアノーチャを特集し直すことには、いくつかの理由がある。
もちろんまず新作『カム・ヒア』とその姉妹作ともいうべき『レモングラス・ガール』の上映機会をつくることがひとつの大きな目標ではあったが(幸運にも今回のAsian Film Jointが2作の日本プレミア=初公開となった)、今回それ以上に実現したかったのは、彼女とともにこれからの東南アジア映画の未来図を探ることだった。
アノーチャは自ら監督・プロデューサーとして映画製作を行うだけでなく、タイの民間映画基金Purin Picturesで共同ディレクターを務めている。Purin Picturesは東南アジア圏のインディー映画に特化した製作支援を行っており、これまで支援してきた作品の多くは各国映画祭で高い評価を獲得するなど、近年の東南アジア映画業界できわめて重要な役割を果たしている。これからアジアとの映画を通じた協働と交流を目指すAsian Film Jointの初回には、東南アジア映画の状況を展望してきた彼女の視点が必要だった。上映とフォーラムを通じて、きっと多くのヒントを見つけたい。
そして彼女の特集を再び行うもう一つの理由は、アノーチャの映画を日本で見られる手段がいまだにひとつも無いことだ。ぼくは2018年、図書館での特集上映ではじめて彼女の作品を見て言葉を失うほどに圧倒されたが、同時にこの映画を皆に見せられない悔しさを強く感じたのだった。その後にも日本のいくつかの映画祭で彼女の作品は上映されていったが、3年経った今でも結局状況は変わっていなかった。これはもう、自分で挑戦してみるべきだと思った。
いま日本では個人やグループといった小さな単位で、自前で字幕制作からDCP上映素材まで準備して上映活動を行う団体が現れている。小さく活動を重ねながら賛同者を見つけ、正規の配給にまで結びついたケースもある。加えて新型コロナウイルスによる新しいライフスタイルが、劇場上映に限らぬ新しい映画流通の可能性を広げたし、また海外の映画作家たちとでもオンライン越しにすぐ繋がれる環境も日常化してもいる。
こうした新しい状況を鑑みたとき、長らく東京偏重だった映画ビジネスに対して、いま福岡からでも挑戦できることがありそうに思えた。そう仮定して、複数の映画人たちへ話を聞いてみるほどに、予感は勇気と確信へと変わっていった。すぐれた映画と出会い、それを一人でも多くの人へ届けたいと真剣に願ったあのときから、仕事はもう始まっていたのだ。
今回の上映がみなさんとアノーチャの良き出会いとなることを願っている。
どうぞ劇場でゆっくりと、彼女の作品をお楽しみください。
三好 剛平
(Asian Film Joint / 三声舎)
わたしたちは無数の過去の出来事と繋がっている。ふとしたきっかけで、そこに自覚さえしていなかった新たなつながりを見つけたとき、〈わたし〉の現在は過去と未来にむかってひらいていく。アノーチャはその予感を映画のあちこちに散りばめる。忘れ去った思い出、記録に残されなかった事件。自分と一切関わりが無いはずの史実、生前の記憶、言い伝え、宇宙の果てで起きた出来事。こうした「歴史」がひとたび〈わたし〉の個人的な経験と反響するとき、それは予期せぬ別の記憶と接続し、何かを微かに、あるいは強烈に呼び覚ます。ここでいう〈わたし〉とは映画の登場人物であり、アノーチャであり、男性であり、女性であり、これを読むあなたでもある。わたしたちは彼女の映画を通じて、知らなかったはずの記憶までをも「思い出し」、いまと未来の〈わたし〉を何度でも再発見することになる。
各フォーラムは、Youtube内Asian Film Jointチャンネルにて無料配信も行います。
※フォーラムの登壇者は一部を除きオンラインでのご出演を予定しています。
11/11(木) 19:00〜 |
フォーラム①アノーチャ・スウィチャーゴーンポン入門
夏目深雪(映画批評家/編集者) |
---|---|
11/15(月) 19:00〜 |
フォーラム②2564年のタイとインディー映画
福冨渉(翻訳家/タイ文学研究) |
11/18(木) 19:00〜 |
フォーラム③“推し活”としての自主上映
井戸沼紀美(「肌蹴る光線」主催) |
11/22(月) 19:00〜 |
プログラム1『カム・ヒア』 COME HERE
2021年/タイ/ 69分 『レモングラス・ガール』 LEMONGRASS GIRL
2021年/タイ/17分 |
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20:30頃〜 |
フォーラム④東南アジア映画の現在地
坂川直也 (京都大学東南アジア地域研究研究所) |
11/23(火・祝) 19:00〜 |
プログラム2『暗くなるまでには』
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20:30頃〜 |
フォーラム⑤『暗くなるまでには』はどうしてこんなにすごいのか
樋口泰人(boid主宰/爆音映画祭プロデューサー) |
11/24(水) 19:00〜 |
プログラム3『ありふれた話』
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11/25(木) 19:00〜 |
プログラム1『カム・ヒア』 COME HERE
2021年/タイ/ 69分 『レモングラス・ガール』 LEMONGRASS GIRL
2021年/タイ/17分 |
11/26(金) 19:00〜 |
プログラム3『ありふれた話』
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11/27(土) 19:00〜 |
プログラム1『カム・ヒア』 COME HERE
2021年/タイ/ 69分 『レモングラス・ガール』 LEMONGRASS GIRL
2021年/タイ/17分 |
20:30頃〜 |
フォーラム⑥監督どうしの感想批評
深田晃司(映画監督/ミニシアター・エイド基金発起人) |
11/28(日) 19:00〜 |
プログラム2『暗くなるまでには』
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