悪は存在しない
Evil Does Not Exist
2023/日本/106分
- 10月27日(日) 11:00
- 1,000円
- 濱口竜介
長野県の自然豊かな高原に位置する町で慎ましい生活を送る父と娘。ある日、彼らの暮らす土地の近くに、コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所がグランピング場を建設する計画が持ち上がる。そのずさんな計画に町内は動揺し、その余波はふたりの生活にも及んでいく。2023年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。
—— 今年のテーマである〈とるにたらない〉についてお聞かせください。
前回開催から今回のAsian Film Jointまで約2年のあいだに、世界の様相が大きく変わったことが背景にあります。世界中のあちこちで、大小問わぬ様々な次元で、「権力」があからさまに発動・強行されては、誰かにとって特別で大切だった物事が、次々と〈とるにたらない〉ものへと押しやられていく様子を目の当たりにしてきました。
「ささいなことである」「わざわざ問題として取り上げる価値もない」「大局には影響しない」「議論に値しない」「つまらない」——。誰かが何かを〈とるにたらない〉と判断するとき、そこには何かしらの権力や暴力が発動しているのではないか。そして、そうやって一度〈とるにたらない〉と烙印された物事や人々たちは、その後一体どうなってしまうのか。どんな歴史の史料にも、誰の記憶にも、名前や痕跡すら残すことなく、ただ透明にされたまま忘れ去られていくしかないのか。
自分の現実から生じたそうした問題意識と、今年のAsian Film Jointを準備するなかで見てきた作品群が自然と結びついていきました。今回、テーマを〈とるにたらない〉とすることで問題にしてみたいキーワードをもう少し別の言葉で言い換えてみるなら、まずは「記憶」「歴史」「権力」「抵抗」「尊厳」といったことになりそうですが、そうしたことを「映画」を通して考えてみられないかと考えたんです。
—— 「映画」を通して、ですか。
いま自分たちの現実に対して私たちは何が出来るのかと考えていくなかで、もちろんまずは喫緊で起こすべき具体的なアクションが山積みではありますが、最終的には私たち一人ひとりがそうした〈とるにたらない〉とされてしまったものたちを「忘れずにいる」ことが大切なのではないかと思いました。彼らの存在を何度でも見出し、眼差しを向け続けること。遺された微かな声に耳を澄ますこと。もうそこには存在しておらず、気を抜くとすぐ見過ごしたり忘れてしまう彼らのことを折にふれては思い出し、「確かにそこに在った」という事実を自らのうちに、そしてこの世界の記憶として息づかせること。
そしてこの「見出し、耳を澄ませ、記憶を息づかせる」ということはいずれも「映画」が持つ特性に通じるものだと気づきました。だとすれば「映画」それ自体も、今この現実に抵抗するひとつの手段になり得るかもしれない、と思ったんです。
—— それでは、今年のプログラムは「権力によって透明にされた人々や物事」が登場する作品が上映される、ということですか?
いくつかの作品はその通りですが、実際はもう少し幅のある〈とるにたらない〉を、映画を通じて届けられたらと思っています。たとえば映画のなかで、どんな歴史の教科書にも残らないような無名の人々の何気ない振舞いや、物語にどう関わってくるかもわからない〈とるにたらない〉場面を見せられたとする。そのとき多くの観客はきっとまず「なぜ自分は今、こんなにも取り留めのないものを延々と見せられているのか」と感じます。映画から託される微かな情報を頼りに、画面の向こうにある世界の拡がりを手繰り寄せようとしても、その試みが毎回上手くいくとは限りません。そうして徐々に観客は不安になってくる。もしかしたら自分は既に、何か決定的なものを見過ごしたり、聴き逃したりしてしまったのではないか。ときには「この場面はとるにたらないだろう」と切り捨てた何かが、後で大切なものだったと気づかされることだってあるかもしれない。
しかし、劇場の暗闇の只中でこうした寄る辺無さに身を預けてみてこそ、画面そして世界を鋭敏に視・聴する能力や、物事を感知できる解像度が上がることもあるのだと僕は思います。わからないもの、見えないもの、聞こえないものたちを、それでもなお注意深く知覚しようとすることによってのみ捉えられる実相があるのではないか。そのためにも、何かを早々に〈とるにたらない〉と捨象することなく、それらをただじっと見つめ、耳を澄ませてみる。そこから私たちはようやく世界と新たに出会い直せるのではないか。こういった経験を皆と共有できるような作品を上映したいと思っています。
—— 映画のなかの〈とるにたらない〉人々や物事をじっくり見つめることが、現実の〈とるにたらない〉ものへ向ける眼差しや姿勢をも変えていくのではないか、ということですね。
そうです。それはちょうど暗闇にぼんやり現れる点と点を結び、自分なりの意味や物語を成す星座に編み上げていくような行為ではないかと思っています。今回上映する作品からいえば『オアシス・オブ・ナウ』や『目は開けたままで』などは、こうした眼差しによって手繰り寄せられるものや、その先にある微かな希望を見つけてもらえる作品だと思っています。
しかし、ここまで考えを進めたところで、今度は映画から「待った」をかけられるように、僕のなかに次なる問題が浮かび上がってもきます。
—— ふむ。それはどういう問題ですか。
ここまで説明した通り、まずは〈とるにたらない〉物事を見つめ、それまで見過ごしてきた何かに輝きを見出す。そのこと自体は希望なのだと僕は信じていますが、同時にそれは、ある物事に自分都合で意味や目的を投影し、現実理解を身勝手に組み替える欲望と背中合わせでもあるのではないか、という危うさが頭をもたげます。
「ただそこに存在していた」だけの〈とるにたらない〉ものたちに、勝手に意味を被せ、自分都合のナラティブへ引き込んでしまうことの危険性。そもそも「権力」に抵抗するためにこの思考を始めたはずなのに、気づいたら〈とるにたらない〉ものを見出す自分の眼差し自体が「権力」へとすり替わってしまう。このような暴力性と、映画や映像がこれまでの歴史のなかで何度も権力側のプロパガンダに用いられ、大きな歴史の語り直しに利用されてきた事実が無縁のこととは思えませんでした。それに、何よりまず大前提として、結局〈とるにたらない〉ものたちとは、何かの意味や目的に奉仕しなければ存在することも許されないのか?というところにまで、また立ち帰らされてしまうわけです。
—— たしかに、ある物事に何か特別な意義を見出し「これには語るべき価値がある」と感じるとき、それは同時に、自分都合で世界を峻別し直しているに過ぎない、とも言えるかもしれません。
ただ実際は、それがどこまで悪いことなのかは、僕もずっとわからずにいるんですよ。だって、誰もが見過ごしていて、自分だけがその輝きを認められた何かがあるのなら、やっぱりその声を上げないことには、この世界に「それ」が存在していることすら認識されないわけですから。
だけど、たとえば今回上映する『樹上の家』や『広島を上演する』そしてダニエル・フイ監督の諸作を見ていると、一体誰がその〈とるにたらない〉物事について光を当て・語ることができるのか、誰にその権利があるのか、といった問題意識を軽視できなくなる。
—— ひとつひとつの〈とるにたらない〉ものたちに意味と尊厳を見出したいけど、それを身勝手にドライブさせてしまうことに潜む危うさとのあいだで、引き裂かれてしまう。
まるでアクセルとブレーキを同時に全力で踏み込んでいるような感覚です。ただ、それでもこの煩悶から何かが見つけられるのではないかと思えるのは、今回ゲストにもお迎えする映画批評家の廣瀬純さんの著書『絶望論 革命的になることについて』(2013)に記された、ドゥルーズによる「創造」をめぐる以下の叙述に励まされたことによります。
第一に重要なことは、どんな創造も不可能性に「強いられる」ことなしにはあり得ないという点です。ドゥルーズにとって「創造」とは「逃走線を引くこと」であるわけですが、逃走線の描出は、不可能性の壁にぶつかり、それへの抵抗を強いられることなしにはあり得ない。(P14)
そして第二の重要な点として以下が続けられる。
不可能性の壁はそれとして存在したり、与えられたりするものではなく、我々一人ひとりが独自に作り出さなければならないということです。…ドゥルーズは次のように言っています。「クリエイターとは独自の不可能性を創造する人のこと、不可能性を創造した上で同時に幾ばくかの可能性を創造する人のことだ。…壁に頭をこすりつけなければならない。ひとまとまりの不可能性を手にしない限り、あの逃走線を手にすることはできない…」(P22)
そうして自ら創造した二重の不可能性によって前進も後退も出来ないような「ダブルバインドにデッドロック(P51)」された状態、つまり二つの矛盾した条件に晒され、行き詰まってしまうところからしか、私たちは真の逃走線は描き出せないのではないか、というふうに続きます。
少し抽象的に聞こえるかもしれませんが、僕は今年この部分を繰り返し読んでは、励みにしてきました。
—— 〈とるにたらない〉と「権力」と「映画」をめぐって探ってきたここまでのお題については、現時点でなにかの「逃走線」は見つかりそうですか?
今、自分なりにその糸口になるかもしれないと思っているのは、「映画」がときに作り手の意図を超えて現実の諸相を「つい画面に映し込んでしまう」操作不可能性や他者性を持っていることです。
画面や作り手が敷き込む権力からも、また鑑賞者による眼差しの権力からも無縁に、ただ自生する、とるにたらない「あそび」のような時間や物事のありよう。今回上映する作品で言えば『石がある』や『真昼の不思議な物体』、そしてファム・ティエン・アン監督の諸作や『すべての夜を思いだす』といった作品群に、そうした時間と体験を見つけてもらえるのではないかと思っています。
映画が、そしてこの世界の〈とるにたらない〉ものたちが、たとえ何かの意味や目的に奉仕せずとも「ただそこに在る」ままに見つめられ、祝福され、歓待されていく。そのような経験を、今年のAsian Film Jointで届けられたらと願っています。
そしてその経験が、皆さんの現実における〈とるにたらない〉ものへの眼差しに少しでも変化を与えたり、鑑賞後の会場でたくさんの会話を誘い出すものになれば、本当に嬉しい。
今年も劇場で、皆さんとお会いできるのを楽しみにお待ちしています。
三好剛平(Asian Film Joint /三声舎)
ユネスコが制定する「世界視聴覚遺産の日(10/27)」を記念して、福岡市総合図書館フィルムアーカイヴとAsian Film Jointが共同で企画した特別プログラムを上映&上演します。
2023/日本/106分
長野県の自然豊かな高原に位置する町で慎ましい生活を送る父と娘。ある日、彼らの暮らす土地の近くに、コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所がグランピング場を建設する計画が持ち上がる。そのずさんな計画に町内は動揺し、その余波はふたりの生活にも及んでいく。2023年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。
2023/日本/74分
『ドライブ・マイ・カー(2021)』でもタッグを組んだ音楽家・石橋英子と映画監督・濱口竜介のコラボレーションによって生まれた映像作品。濱口監督の『悪は存在しない』の映像素材に石橋の即興ライブ演奏が加えられることで、音楽と映像と物語のあいだの主従関係は消失し、演奏の度に「一回きり」の映像・音楽体験が立ち現れる。終了後に石橋英子さんによるアフタートークを予定。
Asian Film Joint 2021で特集したタイの女性監督アノーチャ・スウィチャーゴーンポン。この度、福岡市フィルムアーカイヴに監督の2006年の短編作品『グレイスランド』が収蔵されることとなりました。これを記念して『グレイスランド』ならびにアーカイヴ収蔵作品から監督の代表作を特集上映します。上映後にはAsian Film Joint主宰・三好剛平による2024年プログラムの解説トークも。
2016年/タイ・フランス・カタール・オランダ/105分/日本語字幕付き
1976年タイのタマサート大学で、左派学生と市民活動家らの集会に警察が乗り込み、百人以上もの死者を出した「血の水曜日虐殺事件」が起こる。映画は一人の映画監督が、この集会に参加していた元活動家の女性作家へインタビューする場面から始まる。並行して有名俳優や飲食店の女性店員らの人生も語られ、徐々にタイの現在が浮かび上がってくる。
2009年/タイ/82分/日本語字幕付き ※35mmフィルム上映
事故によって下半身付随となった青年エークの介護のために、看護師のパンが雇われる。権威主義的な家長である父親と微妙な関係にあり常に不機嫌なエークだったが、献身的に介護を続けるパンへ徐々に心を開いてゆく。象徴的な家を舞台にした〈ありふれた日常〉の物語は現代タイ社会の寓話であり、やがて宇宙と生命の神秘的イメージへと接続していく。
2006年/タイ/17分/日本語字幕付き ※35mmフィルム上映
エルヴィス・プレスリーの扮装をした若い男と、いわくありげな年上女性。バンコクの夜の街で出会った二人は、互いの名前も行く先も分からぬまま都会から遠く離れた郊外へと向かう。カンヌ国際映画祭にタイの短編映画として初めて公式出品され、監督のその後の活動を推し進めた記念碑的な一作。このたび、福岡市フィルムアーカイヴに収蔵された。
11月11日(月)、12日(火)の講演イベントの会場は、福岡アジア美術館内のあじびホールです。上映会場(福岡市総合図書館・映像ホールシネラ)とは異なりますので、ご注意ください。
このマークのある回は、上映終了後にゲスト
を迎えてのアフタートークを行います。
| 10月27日(日)プレイベント | 11:00 |
悪は存在しない濱口竜介 |
|---|---|---|
14:00 |
GIFT濱口竜介 石橋英子 石橋 英子(音楽家) |
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| 11月2日(土)プレイベント | 11:00 |
暗くなるまでにはアノーチャ・スウィチャーゴーンポン |
14:00 |
ありふれた話グレイスランドアノーチャ・スウィチャーゴーンポン アノーチャ・スウィチャーゴーンポン(監督) |
|
16:50 |
AFJディレクタートーク三好剛平(AFJ主宰) 杉原永純(福岡市図書館フィルム・アーカイヴ 学芸員) |
|
| 11月7日(木) | 15:00 |
真昼の不思議な物体アピチャッポン・ウィーラセタクン |
18:00 |
オアシス・オブ・ナウチア・チー・サム チア・チー・サム(監督)※オンライン |
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| 11月8日(金) | 15:00 |
樹上の家チューン・ミン・クイ |
18:00 |
広島を上演する三間旭浩、山田咲、草野なつか、遠藤幹大 マレビトの会 草野 なつか(監督) 遠藤 幹大(監督) |
|
| 11月9日(土) | 11:00 |
目は開けたままでネレ・ウォーラッツ |
14:30 |
石がある太田達成 太田 達成(監督) |
|
17:30 |
これが星の歩きかたすべての夜を思いだす清原惟 清原 惟(監督) |
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| 11月10日(日) | 11:00 |
蛇の皮ダニエル・フイ ダニエル・フイ(監督) ヴィッキー・ヤン(俳優) |
14:00 |
デモンズダニエル・フイ ダニエル・フイ(監督)(監督) ヴィッキー・ヤン(俳優) |
|
16:30 |
スモール・アワーズ・オブ・ザ・ナイトダニエル・フイ ダニエル・フイ(監督) ヴィッキー・ヤン(俳優) |
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| 11月11日(月)関連イベント | 19:00 |
![]() AFJ映画批評講座2024
|
| 11月12日(火)関連イベント | 19:00 |
![]() AFJ映画批評講座2024
|
| 11月13日(水) | 15:00 |
広島を上演する三間旭浩、山田咲、草野なつか、遠藤幹大 マレビトの会 三間 旭浩(監督) 林 ちゑ(俳優) |
18:00 |
目は開けたままでネレ・ウォーラッツ |
|
| 11月14日(木) | 15:00 |
スモール・アワーズ・オブ・ザ・ナイトダニエル・フイ |
18:00 |
蛇の皮ダニエル・フイ |
|
| 11月15日(金) | 15:00 |
オアシス・オブ・ナウチア・チー・サム |
18:00 |
石がある太田達成 |
|
| 11月16日(土) | 11:00 |
樹上の家チューン・ミン・クイ |
14:00 |
静黙常に備えよファム・ティエン・アン ファム・ティエン・アン(監督)※オンライン |
|
16:30 |
黄色い繭の殻の中ファム・ティエン・アン |
|
| 11月17日(日) | 11:00 |
真昼の不思議な物体アピチャッポン・ウィーラセタクン |
14:30 |
これが星の歩きかたすべての夜を思いだす清原惟 |
映画を通じて「とるにたらない」営みを見つめ・考えることは、同時に観客による映画の鑑賞能力——すなわち画面のなかの「とるにたらない」運動を丁寧に見つめ、聞き取り、自ら思考することの問題でもある。観客自身の日常や世界への新たな視点を獲得する機会として、ゲスト講師とともに「映画の見方」のレッスンとなる批評講座を実施する。
樋口 泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家。爆音映画祭プロデューサー。1957年生まれ。ビデオ、単行本、CDなどを製作・発売するレーベル「boid」を1998年に設立。2004年から東京・吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画。2008年より「爆音映画祭」を開始。批評集『映画は爆音でささやく』、『青山真治クロニクルズ』(いずれもboid)など刊行書籍も多数。プロデュースした吉祥寺バウスシアターの映画『BAUS』の公開が2025年春に控えている。
廣瀬 純(ひろせ・じゅん)
映画批評家。龍谷大学教授。1971年生まれ。著書に『シネキャピタル』(洛北出版)、『シネマの大義 廣瀬純映画論集』(フィルムアート社)など。『新空位時代の政治哲学 クロニクル2015-2023』(共和国)ほか、政治思想関連の著作も多数。現在、月1回更新の POPEYE Web ポッドキャスト「PARAKEET CINEMA CLASS」が公開中。最新著書は8月刊行『監督のクセから読み解く名作映画図鑑』(彩図社)。
2023/マレーシア、シンガポール、フランス/90分/日本語・英語字幕付き
クアラルンプールの古い集合住宅の一角。その階段の吹抜けは母娘の密会場所だった。二人はここでゲームをしたり氷菓子を分け合ったりして、特別な時間を共にする。しかし二人は同じ団地で暮らしていながら、別々の場所へ戻らねばならない事情があった。ハンは色んな家を巡っては家事を続け、娘は母と少しでも共にいられる時間を切望する。
2024/ブラジル、アルゼンチン、台湾、ドイツ/97分/日本語・英語字幕付き
カイは傷心旅行で台湾からブラジルの沿岸都市へ降り立つ。彼女は立ち寄った傘屋でアジア系移民の店主フアンと出会い、彼が残した大量の絵葉書を譲り受ける。絵葉書の裏には、かつて彼が一緒に働いていた中国人女性シャオシンによる日記が綴られていた。やがて姿を消してしまったフアンを探しながら、カイは日記のなかの彼らの物語に自分自身を重ね始める。
2000/タイ/83分/日本語・英語字幕付き
映画監督がある女性へのインタビュー撮影を終えた後にこう告げる—「何か他の話はありませんか?本当のことでも、作り話でも良いので」。女は戸惑いながらもその場で創作した少年と女性教師の物語を語り出す。その後、撮影隊はタイの国中を旅しながら各地の人々によって〈物語の続き〉が紡がれ・変容していくさまをカメラに収めていく。(作品提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
2019/ベトナム・シンガポール、独、仏、中/84分/日本語・英語字幕付き
(画像提供:福岡市総合図書館)
2045年の火星に住む男が、かつて自身がベトナムの山岳地帯で撮影した少数民族の映像と自らの記憶を組み合わせた映画を制作している。しかし男は、彼らの映像やベトナム戦争当時の記録映像などを見進めていくうちに、自問を始める。自分には彼らを撮影する権利が本当にあったのか。そして自分はこの映画を完成させるべきなのか。
2014/シンガポール/105分/日本語・英語字幕付き
2066年、ある男が手渡された2014年のシンガポールのフィルム。そこには様々な人物たちが語る思い出や回想が記録されていた。映画はそれらと並行してシンガポール国家の建国神話を年代順に展開する。多声で語られる個人の記憶と、シンガポールの建国とルーツにまつわる〈歴史〉が交錯し、この地における抑圧と抵抗の残像があぶり出される。(作品提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
2018/シンガポール/84分/日本語・英語字幕付き
女優志望のヴィッキーは、尊敬する演出家のダニエルの新作舞台で大役を射止めるが、それは終わりのない搾取と抑圧の始まりだった。女優による芸術的苦悩をシンガポールという国が経験してきたトラウマと重ね神話的に描き出すことで、あらゆるコミュニティに潜む権力の暴力性を暴く。監督が個人とシンガポール国家の関係を見つめる「ヴィッキー三部作」の二作目。(協力:福岡市総合図書館)
2024/シンガポール/103分/日本語・英語字幕付き
1960年代後半のシンガポール。独立を果たし、国として新たなアイデンティティを模索していたこの国の片隅で、ある暗い部屋に囚われた女性のヴィッキーが男に尋問されている。彼女自身の個人的なトラウマやこの国が経験した様々な記憶と対峙する長い一夜を経て、やがて彼女のアイデンティティは曖昧になっていく。
2018/ベトナム/15分/日本語・英語字幕付き
(画像提供:福岡市総合図書館)
止む気配のない強い雨の夜。親が決めた結婚を明日に控えた女性は、同性の恋人に会いに家を抜け出す。彼女は口がきけない。しかし彼女が押し黙る理由はそれだけなのか。じわじわと締め付けてくる社会通念と、神がもたらす愛とのあいだにある矛盾を、映画は静かに描き出していく。
※「常に備えよ」と同時上映
2019/ベトナム/14分/日本語・英語字幕付き
(画像提供:福岡市総合図書館)
蒸し暑い一日の終わり。賑やかな街角の屋台で三人の男たちがとりとめのない会話を繰り広げていると、すぐ近くで突然バイク事故が起きる。炎をあげて調理を進める料理人、大道芸人の少年、ビールを売り込んでくる若い女性、群がる野次馬など、多様な人々をカメラは全編ワンショットで捉える。
※「静黙」と同時上映
2023/ベトナム、シンガポール、フランス、スペイン/178分/日本語・英語字幕付き
交通事故で突然亡くなった兄嫁の遺体を、失踪した兄に代わって故郷に送り届けることになったティエン。事故で奇跡的に助かった幼い甥を連れて帰郷した彼は、かつての恋人との再会を果たし、兄の消息を辿る旅を続ける。やがてそれは彼自身の魂の在処を探す旅へと変質していくのだった。カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞作品。(字幕協力:東京フィルメックス、映像産業振興機構)
2022/日本/104分/英語字幕付き
旅行会社の仕事で郊外の町を訪れた女は、川辺で水切りをしている男と出会う。女は男との距離を慎重に測っていたが、いつしか二人は上流へ向かって一緒に歩きだしていた。〈あそび〉のはじまりと終わり。何かが途切れ、何かは残る。意味や目的から軽やかに抜け出し、ただそこに在るものを見留める無為の時間に充ちる特別な感覚が、映画に結晶している。
2020/日本/26分/英語字幕付き
2020年のとある日、太陽フレアの影響によってスマホなどの携帯電話回線に電波障害が発生。その影響で早めに閉店したデパートに取り残されてしまった木下花は、かつての同級生である渉と偶然の再会を果たす。閉ざされたデパートで過ごすことになった二人に訪れる、小さくも特別な一晩の物語。
※「すべての夜を思いだす」と同時上映
2022/日本/116分/英語字幕付き
©2022PFFパートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活) / 一般社団法人PFF
多摩ニュータウンに住む三人の女性たちの、ありふれた、けれども特別な一日を描く。友人からの引越しハガキを頼りにニュータウンを歩き回る知珠。早朝から行方不明になった老人を捜すガス検針員の早苗。亡き友人が撮った写真の引換券を持ってその母へ会いに行く大学生の夏。それぞれが街に積もり重なる記憶に触れ、そこにいない誰かへの思いを巡らせる。
※「これが星の歩きかた」と同時上映
2023/日本/133分/英語字幕付き
演劇カンパニー「マレビトの会」が長崎、福島の舞台シリーズに続き、広島を題材に4名の監督と制作したオムニバス映画。広島で暮らす女性が友人と川のほとりで詩を共作する『しるしのない窓へ(三間旭浩)』、原爆の爆心地のすぐそばで胎内被ばくした女性が語る『ヒロエさんと広島を上演する(山田咲)』、大切な存在を失った女性が喪失と向き合いながら日常生活を送る『夢の涯てまで(草野なつか)』、広島にまつわる演劇のリハーサルと、難聴の音響スタッフが野外で音を採取する姿を追う『それがどこであっても(遠藤幹大)』の4作で構成。
ユネスコが制定する「世界視聴覚遺産の日(10/27)」を記念して、福岡市総合図書館フィルムアーカイヴとAsian Film Jointが共同で企画した特別プログラムを上映&上演します。
2023/日本/106分
長野県の自然豊かな高原に位置する町で慎ましい生活を送る父と娘。ある日、彼らの暮らす土地の近くに、コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所がグランピング場を建設する計画が持ち上がる。そのずさんな計画に町内は動揺し、その余波はふたりの生活にも及んでいく。2023年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。
『ドライブ・マイ・カー(2021)』でもタッグを組んだ音楽家・石橋英子と映画監督・濱口竜介のコラボレーションによって生まれた映像作品。濱口監督の『悪は存在しない』の映像素材に石橋の即興ライブ演奏が加えられることで、音楽と映像と物語のあいだの主従関係は消失し、演奏の度に「一回きり」の映像・音楽体験が立ち現れる。終了後に石橋英子さんによるアフタートークを予定。
photo by Shuhei Kojima
Asian Film Joint 2021で特集したタイの女性監督アノーチャ・スウィチャーゴーンポン。
この度、福岡市フィルムアーカイヴに監督の2006年の短編作品『グレイスランド』が収蔵されることとなりました。これを記念して『グレイスランド』ならびにアーカイヴ収蔵作品から監督の代表作を特集上映します。上映後にはAsian Film Joint主宰・三好剛平による2024年プログラムの解説トークも。
2009年/タイ/82分/日本語字幕付き ※35mmフィルム上映
事故によって下半身付随となった青年エークの介護のために、看護師のパンが雇われる。権威主義的な家長である父親と微妙な関係にあり常に不機嫌なエークだったが、献身的に介護を続けるパンへ徐々に心を開いてゆく。象徴的な家を舞台にした〈ありふれた日常〉の物語は現代タイ社会の寓話であり、やがて宇宙と生命の神秘的イメージへと接続していく。
©Electric Eel films
2006年/タイ/17分/日本語字幕付き ※35mmフィルム上映
エルヴィス・プレスリーの扮装をした若い男と、いわくありげな年上女性。バンコクの夜の街で出会った二人は、互いの名前も行く先も分からぬまま都会から遠く離れた郊外へと向かう。カンヌ国際映画祭にタイの短編映画として初めて公式出品され、監督のその後の活動を推し進めた記念碑的な一作。このたび、福岡市フィルムアーカイヴに収蔵された。
©Electric Eel films
Asian Film Joint ディレクターによるプログラム解説。
映画を通じて「とるにたらない」営みを見つめ・考えることは、同時に観客による映画の鑑賞能力——すなわち画面のなかの「とるにたらない」運動を丁寧に見つめ、聞き取り、自ら思考することの問題でもある。観客自身の日常や世界への新たな視点を獲得する機会として、ゲスト講師とともに「映画の見方」のレッスンとなる批評講座を実施する。
樋口 泰人(ひぐち・やすひと)
映画批評家。爆音映画祭プロデューサー。1957年生まれ。ビデオ、単行本、CDなどを製作・発売するレーベル「boid」を1998年に設立。2004年から東京・吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画。2008年より「爆音映画祭」を開始。批評集『映画は爆音でささやく』、『青山真治クロニクルズ』(いずれもboid)など刊行書籍も多数。プロデュースした吉祥寺バウスシアターの映画『BAUS』の公開が2025年春に控えている。
廣瀬 純(ひろせ・じゅん)
映画批評家。龍谷大学教授。1971年生まれ。著書に『シネキャピタル』(洛北出版)、『シネマの大義 廣瀬純映画論集』(フィルムアート社)など。『新空位時代の政治哲学 クロニクル2015-2023』(共和国)ほか、政治思想関連の著作も多数。現在、月1回更新の POPEYE Web ポッドキャスト「PARAKEET CINEMA CLASS」が公開中。最新著書は8月刊行『監督のクセから読み解く名作映画図鑑』(彩図社)。
2023/マレーシア、シンガポール、フランス/90分/日本語・英語字幕付き
クアラルンプールの古い集合住宅の一角。その階段の吹抜けは母娘の密会場所だった。二人はここでゲームをしたり氷菓子を分け合ったりして、特別な時間を共にする。しかし二人は同じ団地で暮らしていながら、別々の場所へ戻らねばならない事情があった。ハンは色んな家を巡っては家事を続け、娘は母と少しでも共にいられる時間を切望する。
2024/ブラジル、アルゼンチン、台湾、ドイツ/97分/日本語・英語字幕付き
カイは傷心旅行で台湾からブラジルの沿岸都市へ降り立つ。彼女は立ち寄った傘屋でアジア系移民の店主フアンと出会い、彼が残した大量の絵葉書を譲り受ける。絵葉書の裏には、かつて彼が一緒に働いていた中国人女性シャオシンによる日記が綴られていた。やがて姿を消してしまったフアンを探しながら、カイは日記のなかの彼らの物語に自分自身を重ね始める。
2000/タイ/83分/日本語・英語字幕付き
映画監督がある女性へのインタビュー撮影を終えた後にこう告げる—「何か他の話はありませんか?本当のことでも、作り話でも良いので」。女は戸惑いながらもその場で創作した少年と女性教師の物語を語り出す。その後、撮影隊はタイの国中を旅しながら各地の人々によって〈物語の続き〉が紡がれ・変容していくさまをカメラに収めていく。(作品提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
2019/ベトナム・シンガポール、独、仏、中/84分/日本語・英語字幕付き
2045年の火星に住む男が、かつて自身がベトナムの山岳地帯で撮影した少数民族の映像と自らの記憶を組み合わせた映画を制作している。しかし男は、彼らの映像やベトナム戦争当時の記録映像などを見進めていくうちに、自問を始める。自分には彼らを撮影する権利が本当にあったのか。そして自分はこの映画を完成させるべきなのか。
(画像提供:福岡市総合図書館)
2014/シンガポール/105分/日本語・英語字幕付き
2066年、ある男が手渡された2014年のシンガポールのフィルム。そこには様々な人物たちが語る思い出や回想が記録されていた。映画はそれらと並行してシンガポール国家の建国神話を年代順に展開する。多声で語られる個人の記憶と、シンガポールの建国とルーツにまつわる〈歴史〉が交錯し、この地における抑圧と抵抗の残像があぶり出される。(作品提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭)
2018/シンガポール/84分/日本語・英語字幕付き
女優志望のヴィッキーは、尊敬する演出家のダニエルの新作舞台で大役を射止めるが、それは終わりのない搾取と抑圧の始まりだった。女優による芸術的苦悩をシンガポールという国が経験してきたトラウマと重ね神話的に描き出すことで、あらゆるコミュニティに潜む権力の暴力性を暴く。監督が個人とシンガポール国家の関係を見つめる「ヴィッキー三部作」の二作目。(協力:福岡市総合図書館)
2024/シンガポール/103分/日本語・英語字幕付き
1960年代後半のシンガポール。独立を果たし、国として新たなアイデンティティを模索していたこの国の片隅で、ある暗い部屋に囚われた女性のヴィッキーが男に尋問されている。彼女自身の個人的なトラウマやこの国が経験した様々な記憶と対峙する長い一夜を経て、やがて彼女のアイデンティティは曖昧になっていく。
2018/ベトナム/15分/日本語・英語字幕付き
止む気配のない強い雨の夜。親が決めた結婚を明日に控えた女性は、同性の恋人に会いに家を抜け出す。彼女は口がきけない。しかし彼女が押し黙る理由はそれだけなのか。じわじわと締め付けてくる社会通念と、神がもたらす愛とのあいだにある矛盾を、映画は静かに描き出していく。
(画像提供:福岡市総合図書館)
2019/ベトナム/14分/日本語・英語字幕付き
蒸し暑い一日の終わり。賑やかな街角の屋台で三人の男たちがとりとめのない会話を繰り広げていると、すぐ近くで突然バイク事故が起きる。炎をあげて調理を進める料理人、大道芸人の少年、ビールを売り込んでくる若い女性、群がる野次馬など、多様な人々をカメラは全編ワンショットで捉える。
(画像提供:福岡市総合図書館)
2023/ベトナム、シンガポール、フランス、スペイン/178分/日本語・英語字幕付き
交通事故で突然亡くなった兄嫁の遺体を、失踪した兄に代わって故郷に送り届けることになったティエン。事故で奇跡的に助かった幼い甥を連れて帰郷した彼は、かつての恋人との再会を果たし、兄の消息を辿る旅を続ける。やがてそれは彼自身の魂の在処を探す旅へと変質していくのだった。カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞作品。(字幕協力:東京フィルメックス、映像産業振興機構)
2022/日本/104分/英語字幕付き
旅行会社の仕事で郊外の町を訪れた女は、川辺で水切りをしている男と出会う。女は男との距離を慎重に測っていたが、いつしか二人は上流へ向かって一緒に歩きだしていた。〈あそび〉のはじまりと終わり。何かが途切れ、何かは残る。意味や目的から軽やかに抜け出し、ただそこに在るものを見留める無為の時間に充ちる特別な感覚が、映画に結晶している。
2020/日本/26分/英語字幕付き
2020年のとある日、太陽フレアの影響によってスマホなどの携帯電話回線に電波障害が発生。その影響で早めに閉店したデパートに取り残されてしまった木下花は、かつての同級生である渉と偶然の再会を果たす。閉ざされたデパートで過ごすことになった二人に訪れる、小さくも特別な一晩の物語。
2022/日本/116分/英語字幕付き
多摩ニュータウンに住む三人の女性たちの、ありふれた、けれども特別な一日を描く。友人からの引越しハガキを頼りにニュータウンを歩き回る知珠。早朝から行方不明になった老人を捜すガス検針員の早苗。亡き友人が撮った写真の引換券を持ってその母へ会いに行く大学生の夏。それぞれが街に積もり重なる記憶に触れ、そこにいない誰かへの思いを巡らせる。
©2022PFFパートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活) / 一般社団法人PFF
2023/日本/133分/英語字幕付き
演劇カンパニー「マレビトの会」が長崎、福島の舞台シリーズに続き、広島を題材に4名の監督と制作したオムニバス映画。広島で暮らす女性が友人と川のほとりで詩を共作する『しるしのない窓へ(三間旭浩)』、原爆の爆心地のすぐそばで胎内被ばくした女性が語る『ヒロエさんと広島を上演する(山田咲)』、大切な存在を失った女性が喪失と向き合いながら日常生活を送る『夢の涯てまで(草野なつか)』、広島にまつわる演劇のリハーサルと、難聴の音響スタッフが野外で音を採取する姿を追う『それがどこであっても(遠藤幹大)』の4作で構成。