Asian Film Joint 2022について

未来を育む歴史

ある歴史学者は、歴史が悲劇を繰り返すのは人々の当事者意識の減退と関心の低下、そして倦怠によるものではないかと説いた。そして、そうした状況に対し自身たち歴史家に求められる資格とは「忘れない執念」ただひとつである、と語るのだった。※1

Asian Film Joint は、映画 を通じて福岡とアジアの関わりを継続・発展させていくことを目的として、2021年春に発足したプロジェクト。特にアジアフォーカス・福岡国際映画祭が30年にわたって育んだこの街の映画資産を、イベントの終了とともに「終わったもの」とさせないために、それらを積極的に活用するアジア映画の上映やフォーラムを実施することを活動の基本方針とした。

どうして一度終了したイベントの遺物をまた、と思われる向きもあるかもしれないし、筆者もアジアフォーカスという映画祭自体を復古したいわけではない。じっさい、映画祭が残したもののなかには、これを機に手離すべきものも少なからずあったと思う。しかし一方で、今あらためてその価値を再評価し、この街の映画文化の土壌として未来へ継承すべきものが、確かに存在するのだ。それはこの街に遺された「アジア映画人たちとのネットワーク」と、「福岡市フィルムアーカイヴに収蔵されたアジア映画群」である。

「アジア映画人とのネットワーク」を絶やさずにいることの重要さについては昨年度のまえがきに記したため詳細は割愛するが、人と人のつながりによって回っていく映画業界において、映画祭が育んだアジアの映画人たちとの信頼関係は、二度と再現不可能な、この街の映画文化や映像産業の未来を呼び込む大いなる財産なのである。

昨11月に開催した第1回目のAsian Film Joint2021『アノーチャ・スウィチャーゴーンポン監督特集|〈わたし〉の歴史学』開催にあたっても、その準備段階から実施後に至るまで、国内外様々な映画関係者から「福岡にアジアと繋がる映画の現場が続くこと」に多くの喜びの声が寄せられた。たとえ小規模でも、街に彼らと興す映画の〈現場〉がある限り、その物語にはいくらでも新章を加えることが出来るのだ。

そしてもうひとつの映画資産である「福岡市フィルムアーカイヴに収蔵されたアジア映画群」については、改めてその歴史的背景から説明したいと思う。

1989年に福岡ではアジア太平洋博覧会(よかトピア)が開催。そこで培われたアジアとの交流をさらに深めるべく、翌1990年より福岡市の祭典=アジアマンスが開始する。その主要事業の一つとして1991年に始まったのが、アジア映画だけに焦点を当てた本格的な国際映画祭のアジアフォーカス・福岡映画祭であり、ディレクターには日本を代表する映画評論家の佐藤忠男氏が迎えられた。 同映画祭のシンポジウム『映画が語るアジア文化』で、インドのサイー・パラーンジペー監督は「福岡にアジアのフィルムライブラリーの設置を期待する」と発言し、当時の市長表敬訪問においてもその想いを伝えている。これを受け、当時準備中だった市総合図書館の基本計画に「映像メディアセンター」機能が盛り込まれ、施設に映画フィルム専用の収蔵庫が建設されることになる。

1996年、福岡市フィルムアーカイヴは、映画フィルム等の映像資料の収集・保存、調査・研究、公開等を行う施設として、福岡市総合図書館内に開館する。現在では3,000タイトル以上のフィルムが収蔵されており、日本に2つしかない国際フィルムアーカイヴ連盟(FIAF)加盟施設として活動を続けている。収蔵作品はアジア映画や日本映画、福岡の郷土映像資料などを中心としており、なかでもアジア映画は映画祭の上映作品からの収蔵を続けてきたことで、質・量ともに充実。ここにしかフィルムが残存していない作品もある。近年、厳しい予算状況のなかでも、 映画祭を機にアーカイヴを訪れ信頼関係を結んだアジアの映画人たちとの地道な交流を続け、各国から貴重なフィルム群の寄贈を集めるなどして活動を重ねている。

ここには、ひとつの〈活動〉が別の誰かの想いを呼び込み、それがひとつの〈施設〉となって、未来の文化を育む〈土壌〉となってきた歴史がある。社会学者の吉見俊哉氏は、文化にとって最も重要なのは生産物そのものではなく土壌である、と説いた。※2 文化を、ただ売れる物を生産して/流通させ/消費させる「工業モデル」でなく、土を耕し/農作物を育て/収穫を迎え/それが年々循環していく「農業モデル」として捉えること。それは文化cultureの語源(cultivate=耕す)が示す通りであり、私たちが考えるべきは、いかにその〈土壌〉を育て、保ち続けられるかという点である。言い換えれば、自分たちの文化の〈土壌〉をそうした連続性のなかに見出せぬ限り、私たちはどんな新しい種もそこに根付かせ、また豊かに実らせることなど出来ないのではないか。

〈場〉に宿るもの

今年、第2回目となるAsian Film Joint 2022は「場に宿るもの」をテーマとして、福岡市フィルムアーカイヴと併設する映像ホール・シネラをメイン会場に開催する。今年は大きく2つの取組みを準備している。

まず一つ目は、福岡市フィルムアーカイヴに収蔵されている数百本のアジア映画作品の中から、Asian Film Joint 2022に参加する飯岡幸子(撮影監督)・草野なつか(監督)とともに、推薦作品を選定・上映する特別企画である(10/15〜20)。これは、図書館が昨年から行ってきた映画祭の上映作品を中心に名作を上映するプログラム「アジア・シネマ・アンソロジー」に合流するかたちで行うもので、3本のアジア名作を新たな視点から紹介するチャレンジ企画である。映画は光の当て方次第で何度でも「発見」し続けられるものであることを観客の皆さんと一緒に実感し、また、アーカイブに宿る名作群に次なる活用の可能性を呼び込む契機となれば嬉しい。

もう一つが、日本〜アジアの新旧作を上映する特集上映『Asian Film Joint 2022|場に宿るもの』(10/21〜29)。こちらの企画では7本の日本初上映、2本の九州初上映を含む計14本の長・短編作品を紹介し、期間中には作品に関連したトークの実施も予定している。

特集テーマの「場に宿るもの」は、昨年に続きこの街に映画の〈現場〉を興し〈土壌〉を育む活動を続けるAsian Film Jointとしての一種の決意表明でもあるわけだが、映画を通して観客の皆さんに提起したいものはそれに限らない。具体的にはこうだ。

ここに列挙した〈場〉にまつわる幾つかの問いに通底するのは、自分の力を超えて容赦なく進行する環境や関係の変化を前に、一人ひとりが「忘れずにいること」の可能性である。目の前で刻々と変容し・失われていくものに対し、私たちは何を選択して「未来にしていく」のか。過去や歴史と向き合う姿勢を決めることは、そのまま自分たちの未来を選び取ることと同義である。

今回上映する作品はいずれも、上に挙げた問題意識に関わる作品として見ることが出来るはずだ。遠く離れたアジアの国でつくられた映画のなかにも、今ここに生きる私たちと繋がるものを見つけてもらえたら嬉しい。

最後に。今回も各国から参加してくれる作家たちから、福岡の地で作品が上映されることを喜ぶ声が続々と集まっている(なかには、自国のフィルムアーカイヴ立ち上げに関わるなかで、福岡市フィルムアーカイヴの活動を調査していた作家もいたほどだ)。これからアジア各国で映画の未来を創り出していく彼らと福岡市フィルムアーカイヴが、そしてこの福岡の街とそこに息づく映画を愛する人々が、 映画を媒介にして新たに繋がるのだ。このきわめて明快な事実に宿る、歴史への/未来への可能性を信じて、今年のAsian Film Jointを皆さんのもとへお届けしたいと思う。

今年も、皆さんと会場でお会いできるのを心より楽しみにお待ちしています。

三好剛平
(Asian Film Joint / 三声舎)

※1 「中学生から知りたいウクライナのこと」 小山哲、 藤原辰史著(ミシマ社、2022)
※2 「アーツ・オン・ザ・グローブ:コロナ禍と向き合う芸術文化| リフレクション:コロナ禍の先に文化の「土壌」を耕すために」(アーツカウンシル東京、2022)